ははのひのち
2012年 05月 16日
昭和63年の今日は、
月曜だったんですよね。
早朝の電話、
急な報せに狼狽しつつも、
学校へ向かうしかなかった朝。
前掛けを着けた父が
教室まで迎えに来てくれて、
新潟へ飛んだのを憶えています。
祖母は不帰の人となってました。
穏やかな顔で眠っていたはずです。
その1ヶ月半前、
酸素マスクの向こうに、
優しい笑顔を見たのが最後でした。
当時は、短期間の来訪にも拘らず、
病院までの道程を把握していたんですよね。
流石に、今となっては思い出せませんけど(*^^*ゞ
年に1~2回の帰省。
長くても1週間の滞在。
共に過ごしたと言える時間は、
3ヶ月にも満たないと思われます。
物心ついてからの記憶も殆どありません。
祖母との想い出より、
その当時の自分について
回想しがちなんですよねぇ。
無理もないんでしょうけど(*゜‐゜)
微かな残像と伝えられた話、
今後も大切にしていきます☆(⌒-⌒)b
月曜だったんですよね。
早朝の電話、
急な報せに狼狽しつつも、
学校へ向かうしかなかった朝。
前掛けを着けた父が
教室まで迎えに来てくれて、
新潟へ飛んだのを憶えています。
祖母は不帰の人となってました。
穏やかな顔で眠っていたはずです。
その1ヶ月半前、
酸素マスクの向こうに、
優しい笑顔を見たのが最後でした。
当時は、短期間の来訪にも拘らず、
病院までの道程を把握していたんですよね。
流石に、今となっては思い出せませんけど(*^^*ゞ
年に1~2回の帰省。
長くても1週間の滞在。
共に過ごしたと言える時間は、
3ヶ月にも満たないと思われます。
物心ついてからの記憶も殆どありません。
祖母との想い出より、
その当時の自分について
回想しがちなんですよねぇ。
無理もないんでしょうけど(*゜‐゜)
微かな残像と伝えられた話、
今後も大切にしていきます☆(⌒-⌒)b
by marooon8 | 2012-05-16 22:31 | ワタクシごと